PERSONS
翻訳は子育てをしながら。
持ち込みとリーディングを経て、念願だった児童書の翻訳者に。
自分のやりたいことは口に出して、運を自分のほうに引き寄せてきた、ないとうさんの翻訳家への道のりを語っていただきました。
現実を逃れ、外国の物語の世界にのめり込んだ子ども時代
子どもの頃は、ほとんど外国の物語ばかり読んでいました。父親が厳格で、テレビの娯楽番組は「くだらない」と見せてもらえなかったんです。だから代わりに、現実とは違う世界に逃げ込みたかったのかもしれません。
スウェーデン人作家リンドグレーンの作品がお気に入りで、特に「名探偵カッレくん」シリーズが好きでした。何十年ぶりかに読み返す機会があったのですが、主人公の少年少女3人が三角関係だったことを知って驚きました。
英語は中学に入学してから学び始め、高校では自分でリーダーの教科書を丸暗記して、ノートに全訳を書くという勉強法を実践しました。
大学卒業後は2年間、英語教師をしました。結婚を機に退職して1年間は専業主婦です。英語を勉強し直し、英検1級を取りました。そして通訳ガイドの資格を取ったばかりの頃に妊娠していることが発覚。子育てとの両立を考えると通訳は現実的ではないと思い、翻訳者を目指そうと決心して勉強を始めました。
投稿生活と、「出会い」たち
出産・育児と続くと外出はなかなかできないと思い、通信講座を2年間受講しました。
その後は、投稿生活です。1990年当時、翻訳の専門雑誌にさまざまな分野の課題が掲載されていて、訳して送ると優秀な訳文は誌面で紹介されるということで、せっせと投稿していました。
また、ラジオ講座に小林町子先生のロマンス小説翻訳のコーナーがあって、2年くらい投稿し続けていたら、優秀作として取り上げていただけるようになりました。
あるとき小林先生が「ないとうさんにはそのうち仕事を紹介したいと思います」とコメントをしてくださったんです。その後、先生からハーレクイン社をご紹介いただき、トライアルを受けられることになりました。そして翻訳家としてのデビューが実現したのです。
ただ、その後、三男を出産したあとの肥立ちが悪く、半年くらい翻訳の仕事をお断りしなくてはならなくなりました。でも、今振り返ると、その間に多くの大切な出会いがあったんです。
まず、「翻訳フォーラム」に参加したことで、今でも深く交流している多くの仲間を得ることができ、その後の「やまねこ翻訳クラブ」の発足にもつながりました。
それから、翻訳雑誌への投稿も再開して、そのときの講師が東江一紀先生でした。縁があって東江先生の勉強会に参加させていただくことにもなったのです。それまでにロマンス小説を何冊か訳していたので、まったくの素人ではない、という自負がありましたが、初回の勉強会で先生から「これは“翻訳”ではなく“要約”ですね」と言われてしまいました。東江先生からはいろいろな指摘を受けましたが、勉強会に参加して1年くらい経ったころ、うまく言えませんが自分で「今までとちょっと違うかも」と思う瞬間がありました。そうしたら先生からも「だいぶ、すっきりしてきましたね」と声をかけていただいて、ほんの少しですが、「足がかりができたかな」と感じることができました
ロマンス小説の翻訳は結局7冊やったのですが、何しろ「カッレくん」の三角関係にも気づかなかったような色恋沙汰には疎い私だったので……。子どもが小さかった頃、夫の転勤で1年間アメリカに住んでいたのですが、よく絵本を読んでいたんです。好きな絵本作家も見つかって、いつかは児童書の翻訳をやりたいなと思っていました。帰国後、その作家の原書を全部訳し、絵本の翻訳企画の持ち込みを始めたのです。
素人なりに持ち込みを開始!失敗からも学ぶこと多し
当時はインターネットが普及していなかったので、同じ作家が書いた絵本を出版している版元を調べ上げ、電話をかけて「この作家の絵本が好きなのですが、出版の予定はありませんか」といきなり尋ねました。無茶ですよね。「ありません」と素気なく言われて、それでおしまい。次は作戦を練り、出版社にあらかじめ持ち込みをしたい旨を電話で伝えてから、絵本のカラーコピーに自分が翻訳した文章を貼り付けたものを送り、しばらくしてからまた電話で「いかがでしょうか」と尋ねました。すると、編集者の方が詳しくコメントしてくれたのです。残念ながら出版には至りませんでしたが、出版社がどんな本を求めているか、日本の市場ではどのような絵本が受け入れられるかなど、現場の方から直接、有意義な話を伺うことができました。
ことあるごとに「児童書の翻訳がしたい」と口にしていたら、数年後、ある縁で徳間書店に持ち込みをすることができました。結局、成功はしませんでしたが、リーディングのお仕事をいただき、1年ほど、合計100冊ほど絵本のリーディングをさせていただきました。
リーディングを続けていたところ、徳間書店の編集者の方から電話があり、「読み物を訳してみませんか」とこのお話をいただいたのですが、なんと同じ日の午後に東江先生から「下訳をしませんか」という電話が。びっくりして頭がくらくらしながらも、先生には正直に事情を話して、よく考えてみますとお返事したところ、あとからあらためてメールをいただきました。「乾坤一擲、勝負の時が来たんです。どれだけ翻訳が好きか、試されているのです」と。「そうだ、やるしかない!」と心を決め、両方のお話をお引き受けしました。そして2000年に児童書としての初の訳書『宇宙人が来た!』を出すことができました。
待っていても何も始まらない 自分から動くことが大事
振り返ってみると、私自身、いろいろなところで自ら動いたことが、少しずつ重なり合ってチャンスになっていったような気がします。ときどき「翻訳家になるには、どうすればいいのですか」と質問されることがあります。でも、本当になりたい人は、人に聞くのではなく、自分で調べ上げるくらいの根性を持ってほしいですね。
それから、自分のやりたいことを口に出すのって、いいんじゃないかと思います。恥ずかしいから、「もっとできるようになったら、みんなに言おう」という方が多いような気がしますが、それでは遅いんじゃないでしょうか。ぜひ自分の目標を口に出して、そこに近づく努力をしてほしいと思います。座って待っていても、何も始まりません。動きまわってほしいと思います。
取材協力
- ないとうふみこさん
- 児童文学翻訳家。『きみに出会うとき』(東京創元社)、『マリゴールドの願いごと』(小峰書店)、『新訳 思い出のマーニー』(共訳/角川文庫)、『アナと雪の女王 愛されるエルサ女王』(角川つばさ文庫)、「オズの魔法使い」シリーズ(復刊ドットコム)、『涙のタトゥー』(ポプラ社)など訳書多数。