PERSONS
「このくらいで」と思ったらそれで終わり
相手の期待以上のセリフを生み出したい
『セックス・アンド・ザ・シティ』に代表されるような、格好いいセリフ、コミカルでテンポのよい会話に定評のある徐さんですが、どのように翻訳に出会い、腕を磨いていったのでしょうか。
何よりも本が好きな引きこもりの子どもでした
子どもの頃はとにかく本が好きで、小学校を卒業する頃には図書館に読む本がもう残っていないくらい、本ばかり読んでいましたね。あまりにも外で遊ばないので、親も先生も心配していました。物語的なものが好きで、「少年少女全集」みたいなものをよく読んだ記憶があります。『車輪の下』や『女の一生』、それからシェイクスピアの作品などを、子ども向けに書き直したもの。ストーリーが大人向けだから惹かれたのかもしれません。今思い返すと、翻訳ものが多かったかな。あの頃読んだ作品のストーリーは、今でも頭に残っています。
英語に初めて興味を持ったのは、姉とその恋人(のちの義兄)が、聴いていた洋楽のレコードですね。その姉が高校のときにアメリカに留学して、帰ってきてからいろんな話を聞かせてくれたんです。まだ1ドル360円の時代、今と違って海外は憧れの土地です。私も行ってみたくなって、高校の夏休みと短大卒業後の2回、短期でホームステイをさせてもらいました。映画に関しては、アメリカのホームステイから帰ってきてからです。就職のこととか、何も考えずに海外に行ってしまって、帰ってから、さてどうしようかと。英字新聞で見つけたのが、映画配給会社の求人でした。
その配給会社では海外とのやりとりなどをしていましたが、ちょうどVHSが普及しはじめた頃で、会社に出入りをしていた日本語版制作会社の方から「英語ができるなら、バイトで翻訳やってくれない」と声をかけられて、それが翻訳をするようになったきっかけです。仕事ではテレビ放映される吹替用の台本を目にする機会がよくあり、吹替用の台本を見たとき、これはすごく面白いと思ったんです。ああ、この翻訳を自分でもやってみたい、と思いましたね。そんなときに声をかけてもらったので、これはもうやるしかないですよね。会社は給料が高くなく、バイトOKという古き良き時代だったので、引き受けてやっているうちに、そっちのほうが忙しくなり……2年ほどのOL生活は終了しました。
教科書は日本映画の名作
うまくなりたくて、セリフを書き取りました
最初はビデオ字幕の仕事でした。B級ホラー映画だったような記憶があります。それから徐々に吹替の仕事が増えていきました。あのころは翻訳学校も通信講座もまったくなかったので、テレビ局の方や演出の方が、何とか次の世代を育てようということで、手とり足とり教えてくださいました。ホントによく教えていただいたと感謝しています。打ち合わせに呼んでくれて、ああだこうだ言いながら最初から最後まで一緒に直しをしてくれるんです。それで鍛えられました。最初は本当に下手だったから「(こんなに下手なままじゃ)降ろすぞ」と脅されたことも……。本当にこの仕事が好きで、何とかうまくなりたいと思ったので、自分でもいろいろと頑張りました。
悪役のセリフが「あまい!」と言われたときは、テレビで放映されている任侠映画を片っ端から見て、セリフをできる限り書き取りましたね。家庭用ビデオがまだ高級品だった時代で、そうそう使えなかったからテレビの聞き書きです。もう少し時代が進んでビデオが安くなってからは、ビデオで再生・停止を繰り返しながらセリフを書き取ったりしました。主に、日本映画の名作といわれるものを教科書にしていました。
それから今でもそうですが、電車の中で人の会話に聞き耳を立てています。人の会話って、作りものじゃなくてライブじゃないですか。だからすごく参考になる。とにかくうまくなりたいという気持ちが強くて、あの頃は本当に一生懸命でしたね。
苦労したのは、例えば、3人の登場人物が同時にしゃべっているとき、字幕だと1人分のセリフしか出せないので重要な内容を取ることになりますが、吹替の場合は3人分全部訳さなきゃいけないわけです。今はもうパパッとできるようになりましたが、最初の頃は大変でした。でも、1本そういうのをやって苦労すると、次は多少慣れているので早くできるようになる。その積み重ねですよね。何十本も翻訳していくうちに、おのずとやり方がわかってきて、必ずうまくなっていきますから。
反対に、ぱっとセリフが浮かばないような、難しいものが来ると、調べたり考えたりしなければならないから、よーし、やってやる!となりますね。軍隊ものの作品を訳したときはわからないことが多くて大変でしたが、自衛隊の広報の方が優しくて、潜水艦に詳しい人を探してくれたり、参考ビデオまで貸してくれたりして。今だったらYouTubeで調べがつくかもしれませんが、当時はなかったので、本当にいろいろな方にお世話になりました。
苦労というのとは違いますが、言葉って難しいと思うことはありますね。例えば、みんなが使ううちに誤用が市民権を得てしまったような言葉。どこまで許されるか、悩みます。「全然オッケー」などは、今は使ってますが、一時は「“全然”のあとは否定が来るべき」というように言われてました。でも、もっと昔だと、肯定でも使われていたわけですし。元は間違いでも、何割の人が使ったらオッケーとか、その境界線が曖昧なので悩むことがあります。そういうアブナイ言葉は使わずに、他の言葉に代えるといったこともしますが、何でもかんでもわかりやすくすればいいかというと、そうでもないですよね。
作品は制作国によっても色が違います。例えばアメリカものは若さがあってエネルギッシュ。一方、イギリスものは、やはりシェイクスピアの国だけあって、作り方が、服でいえばオートクチュール。脚本のすごさに感心します。またイギリスものの場合、はっきり言わずに「察してね」というセリフが多い。原文の通り訳すだけだと、内容がわからなくなってしまう。だからといって全部に説明を加えたら、イギリス作品ならではのもったいぶったところが消えてしまう。そうすると、ここは「察してね」のまま残す、ここはわかりやすく説明を加える、というさじ加減が必要になってきます。料理と一緒ですね。ここはちょっとスパイスをきかせて、ここは素材を生かして、みたいに。私は9年ほど前から縁あって舞台の台本の翻訳もするようになったのですが、さじ加減は舞台の台本翻訳の経験から覚えたところが大きいと思います。
舞台稽古に立ち会うことでわかった、セリフの裏にある感情
私が初めて戯曲翻訳を手がけた作品は『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない?』です。芸能事務所のSISカンパニーの方が、私が訳した番組を見てくださって、「やってみませんか」と声をかけてくださったんです。海外作品の戯曲の台本というと、演出家や脚本家の方が英語ができる方なら自分で書くとか、既に出版されているものを使うとか、色々なケースがあるのですが、『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない?』は、今までとは毛色の違う人に訳させてみようという企画が持ち上がったようで……。私自身、映画ばかりじゃなくて他のこともやりたいなと思っていたので、喜んで引き受けました。
戯曲の翻訳も映画やドラマの吹替翻訳も、どちらもセリフの翻訳と思われるかもしれませんが、実際は全然違いますね。舞台翻訳というのは画像がないんですよ。台本の字面だけ見て訳さなければならない。だから、書き方によってコメディにもなるし悲劇にもなる、というセリフもあるんです。自分のさじ加減が大きく影響するわけです。遊べる範囲が広くて、大変ですが、面白いですね。
それから、やはり舞台というのは濃密ですよね。お客様は、足を運んでお金を払い、2時間じっくり鑑賞するわけです。作る側としては、お客様を帰さない、絶対に飽きさせないぞと。だから、すごく深いです。映画やドラマの翻訳だと、既に演技が出来あがっているので、それに合わせて、一番いいセリフを作っていくわけです。たとえばデニーロみたいな名優が、スゴイ演技をして、そのセリフを作っちゃえるという、これこそ映像翻訳の醍醐味ですね。
戯曲の翻訳をやってから、映画の演技が、違った面から見られるようになりました。以前はセリフを字面どおりに受け取っていたような気がします。それが、芝居を作る現場を見たことで、「ああ、ここはこういう心理状態を演じているんだな」とか、「このセリフは後々あそこにつながるんだな」と、裏の感情や仕掛けが見えてくるようになったんです。
吹替翻訳のアフレコと同じように、舞台でも本読みの期間は立ち会います。本読みでは、読み合わせをしながら、セリフをブラッシュアップしていく作業をします。その前に2日間ほど演出家の方と原文と日本語台本を突き合わせながらやり取りをすることもあります。本読み以降、演出家の方が役者さんに目の前で演技を付けていきます。私は初めての体験ですし、勉強になることだらけでした。その経験が、映画でも作品を深く読み取る力になっていると思います。
チャレンジ精神を忘れず、いい意味ではみ出していたい
これからも新しいことにチャレンジしたいですね。例えば、翻訳ではなく自分で戯曲を書いてみるとか。翻訳の仕事に関しても、「このくらいで十分」と思わないようにしてます。キャリアが長くなって、「私は翻訳家」とか「これだけやった」と思うようになると、違うほうに行ってしまうような……。翻訳に限らずそうだと思いますが、そんなふうに思った時点で成長が止まってしまいますよね。私は絶対に止まりたくない。“予定調和”で終わるのもイヤ。みんなが「こうくるだろう」と思ったら、それをちょっと裏切るくらいのセリフをつくり出したいな、と思います。きれいにかっちり収まってしまいたくない。いい意味ではみ出していたいですね。単純に言えばアマノジャクなんですが。
私がこの仕事を始めた頃と違って、今は競争が激しいですし、あらゆる意味で、大変な時代だと思います。でも、ある程度才能があるなら、ずっと頑張っていけば、絶対にうまくなっていきますから。それプラス、仕事として続けていくために必要なのは、何が求められているのかを考えること、そして誠実に仕事をすることが大切です。プロデューサーの方も、演出の方も、年齢の幅が広いですし、求めるものはその方によって違います。皆さん、それぞれやり方があるので、みんなが気持ちよく仕事ができるよう、相手の意見も聞いて、柔軟に対応することが大事だと思っています。
個人的には、仕事が好きで、引きこもりOKの方は向いてると思います。というか、引きこもりが大丈夫じゃないと無理かもしれません(笑)。それと、アンテナは広く、自分から世界を狭めない、好奇心を持つこと。あとは、一生懸命やるしかない!ですね。
取材協力
徐賀世子さん
アメリカ留学を経て、映画配給会社に入社。仕事を通して日本語吹替の台本を目にし、面白い、これを訳す仕事がしたいと思うようになる。最初はアルバイトで日本語版制作会社から字幕翻訳の仕事を請けるが、次第に忙しくなり、会社を辞めてフリーランスの映像翻訳者に。その後、字幕から吹替メインに移行。2006年からは戯曲翻訳も手がける。主な翻訳作品に、『キャリー』『ハンガーゲーム』(以上、劇場公開)、『サム&キャット』(NHK)、『セックス・アンド・ザ・シティ』『新米刑事モース』(以上、WOWOW)、『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない?』『2人の夫とわたしの事情』『大人は、かく戦えり』『ドレッサー』『ART』(以上、戯曲)などがある。