PERSONS
旅と、メディカル翻訳の両立
もともと文系出身で医薬の知識がないところからスタートした新井さんは、いったいどのように学習されたのでしょうか?
きっかけは出版翻訳。
でも展望が開けたのは実務翻訳だった
もともと英語が好きで、大学も英語学科でした。大学を卒業後は印刷会社に勤めましたが、会社勤めは性に合っていなかったようで長くは続きませんでした。知り合いのデザイン会社の方に、「じゃあ、コピーライターでもやってみる?」と声をかけていただき、それからしばらくはガス会社のパンフレット、割烹料理屋さんの四季の便り、カレンダーの写真のキャプション、タクシードライバー向け観光案内冊子など、地元向けのさまざまな印刷物の文章を書いていました。子どもの頃から文章を書くのが大好きで、自分で物語を考えて書くこともあったので、文章を書く仕事なら自分に合っているんじゃないかと思って始めたのですが、頼まれて書く文章と自分で考えて書く文章は違うんですね。これまた行き詰まってしまって……。
その後、結婚して家業のドラッグストアを手伝うことになったんです。私は文系ですが、薬の添付文書などを読むのは苦にならないというか、むしろ興味津々で読んでいました。ただ、家業を手伝っているだけでは社会的に自立していないな、自分の仕事はこれだというのを見つけたいなと思い、翻訳はどうだろうと考えるようになりました。でも、思ったからといってすぐには実行できず、実際にフェロー・アカデミーに通い始めたのは5年後の30歳の頃です。
本を読むのも、自分で文章を書くのも好きだったので、迷うことなく出版翻訳のクラスを選び、2年半学びました。ところが自分でも意外なことに、”誰かが書いた本を訳すこと”が苦手だと気がついたんです。たぶん、私の場合は”本を読むこと”が趣味として好きなあまり、”仕事として本を翻訳すること”がうまくできなかったのだと思います。そこで、当初は視野に入れていなかった実務翻訳の講座を受けてみることにし、実務翻訳の基礎を学ぶ講座で、プレスリリース、契約書、特許、医薬など、さまざまな分野の課題に取り組みました。それまでに興味を持ったことがない分野がほとんどでしたが、学び始めてみると意外に面白くて、やればやるだけ先が見えてきたんです。次はこんな勉強をしよう、これが終わったらこっちの勉強もしよう、と目の前に展望が開けてきました。
翻訳を学ぶきっかけは出版翻訳でしたが、私に合っていたのは実務翻訳だったということだと思います。もしかすると出版翻訳は趣味の延長になってしまっていたのかもしれませんね。感覚的な言い方ですが、私にとって出版翻訳は右脳の分野。それに対して実務翻訳は左脳でしている気がします。
実務翻訳のどの分野も面白かったのですが、専門的な知識がまったくない分野ばかりだったので、広く学び続けるとどれも中途半端になってしまうな、と思いました。時間があれば、まずは広く学ぶのがよかったのかもしれませんが、私は少しでも早く仕事にしたかったので、1つに絞ることにしました。そこで、ドラッグストアの経験で多少なりとも知識があった医薬に絞って、さらに勉強を続けることに決めたんです。
この頃、ドラッグストアを閉めることになり、翻訳に専念できる環境になったので、医薬系翻訳会社の求人情報をネットから探してトライアルを受けました。でも、実務翻訳を学び始めてまだ半年。無謀ですよね。課題が送られてきて訳しはじめるとすぐ、今の自分の力では無理だと実感しました。当然ながらトライアルは不合格。でも何とか仕事につなげたいという一心で、今度は医薬系翻訳会社のチェッカー募集の案件に応募しました。こちらも不合格だったのですが、2カ月後にこの会社から「製薬会社に出向して、副作用症例報告を入力する仕事があるのですが、やってみませんか?」という連絡をいただいたのです。
新薬開発の8割以上を担っている日本・米国・EUの3国間では、治験期間を短縮し、また治験費用を節約するために、お互いの情報を共有しましょうという取り決めがあります。そのために、海外から届いた英文の副作用情報を読み、その中から必要な情報を所定のフォームに入力する、というのが依頼された仕事の内容でした。医薬関連の英文文書が読めますし、製薬会社に出向くということで、ほかにも学べることがたくさんあるんじゃないかと思い、ありがたくお引き受けしてオンサイトで働き始めました。
平日は製薬会社でオンサイト勤務、そして週末に自宅で英訳の仕事
この製薬会社ではいろいろなことを経験させていただきながら、結局2年間勤めましたが、今振り返ってもこのときの経験はフリーランスとしての土台になったと思っています。
最初の頃は比較的時間に余裕があったので、回ってくる資料を片っ端から読んでいました。面白くて仕方がなかったですね。そうこうしているうちに、社内にいるものですから「本社で翻訳者が足りないらしい」という噂を耳にしたんです。そこで、別件で本社に電話した際に「私でよければやらせてください」と名乗りを上げて、平日はオンサイト勤務、そして週末に自宅で英訳の仕事をするようになりました。翻訳を仕事として受けたのは、このときが初めてです。自ら手を挙げたからには、何としてでも通用するレベルのものに仕上げなければなりません。でも、その時の私の英語力はTOEICは800点に届かず、医薬の知識もまだ不十分。とにかく納得のいくまでとことん調べて、かけられるだけ時間をかけて翻訳に取り組みました。
また、「翻訳がしたい、翻訳がしたい」と折に触れ繰り返していたことが功を奏したのでしょうか(笑)、社長が認めてくださって、オンサイトの仕事でも1年後に本社の翻訳の部署にまわしていただきました。さらに別の製薬会社で、厚労省への副作用報告に関する評価の仕事や文献翻訳をする人員を探しているということで半年間出向し、また本社へ戻ってと、2年間という短い期間でしたが、さまざまな仕事を体験させていただきました。
いずれは翻訳の仕事にたどり着きたいという強い思いがあったので、勉強は自分なりに続けていました。New England Journal of Medicineという医学誌のサイトがあるのですが、この中から興味のある記事を読んだり、対訳が見つかればデータベースづくりをしていました。対訳データは私にとって宝物です。最初は、医薬関係の日英対訳集に出ている文章を、ひたすらテキストファイルに打ち込みました。時間を見つけては、とにかくデータを蓄えていき、インターネット上で見つけた信憑性の薄い対訳については、「?」マークを付けておくのです。この頃から今まで、仕事を通して蓄積してきたデータは、テキストファイルの一括検索という形で今でもとても役立っています。
フリーランスで独立後、念願の世界一周へ
製薬会社で2年間勤めた後、ある翻訳会社さんからお声をかけていただいたタイミングで独立することにしました。その後、いくつかトライアルを受けましたが、以前とは違い日英・英日ともに合格する率が高くなりました。やはり2年間の実務経験が功を奏したのでしょう。それから、製薬会社時代に知り合った方たちに声をかけて翻訳勉強会を始めました。5、6人のメンバーで定期的に集まって2年間ほど勉強会をしましたが、これもとても勉強になったと思います。
また、フリーランスになって学会の論文を要約する仕事をいただいたのですが、これが知識を蓄えるよい機会になりました。毎回テーマが異なり、例えば、抗がん剤、糖尿病、あるいは臨床、前臨床とさまざまな案件が来るので、自然と広範な知識が蓄えられました。 締め切りは特に厳しいというわけではなく、それなりの日数をかけることができたので、時間の許す限り調べて、とはいえ締め切りという区切りはあるので、ある程度のところで見極めて納品するということを繰り返しました。いろいろな意味で、学ぶことが多かったです。さらに、最初は小さい案件から徐々に大きな案件をまかせてくださるようになった会社があるのですが、こことのお仕事を通じて治験翻訳の経験を積むことができました。育てていただいたという感謝でいっぱいです。
フリーランスで仕事を始めて3年後、2009年秋から2011年春にかけて約1年半、世界一周の旅に出かけました。20代前半でペルーを旅したとき、インカ道という高低差の激しい道を数日かけて歩いてきたというバックパッカーに出会ったんです。こういう旅もあるんだなと、今思えばそれが原点だったのかもしれません。いつか世界中を旅しようと決めていました。でも、「いつか」と言っていたのでは永遠にその時は訪れません。とにかく行く時期を決めてしまうしかないと思い、計画を立て、出発の3カ月ほど前にお仕事をいただいている翻訳会社の担当の方にお伝えしました。皆さん「すごいですね」「帰国したら連絡してください」と温かい声をかけてくださいました。
実は旅の目的として、自分で見たものや聞いたことを、自分の文章でまとめたい、という思いがあったので、旅の間は基本的に翻訳の仕事はしない、メールも見ないつもりでした。実際には、インターネット環境のよい町にたどり着いたらしばらく滞在することに決め、翻訳しながら暮らすように過ごした後、納品してから次の町に移動する、といった具合で、少し仕事もしたのですが。東南アジアから西に向かい、アフリカ、ヨーロッパ、そして北米から中南米へと、念願の世界一周をしてきました。
長期間、仕事を休むことに対する不安がなかったと言えばうそになります。運よくフリーランス翻訳者として仕事が順調に増えていったとはいえ、キャリア的にはまだまだでしたし。でも、なんとかなるという思いもありました。世界旅行は私の夢であり、自分で決めたことなので、帰ってきたらまたイチからがんばろうという気持ちで出かけました。
帰国してメールを開いてみたら、翻訳会社の担当者の方から「まだお帰りではないですか?」といったメールが届いていて、すごく嬉しかったです。一方で、1年半の間に担当者の方が会社を辞めてしまっていて、その後、仕事の依頼が来なくなった翻訳会社もあります。帰国後は、また新たにトライアルを受け、新規の取引先開拓も続けています。
今後もメディカル翻訳の仕事はずっと続けていきたいなと思っています。旅は好きなのでやめられませんが、日本での生活はきちんとしながら、ときどき1、2カ月の旅に出る、そんな暮らしが理想です。フリーランスの醍醐味ですよね。もちろん、仕事が来なくなるかもという不安は常にありますが、でも、好きなことなので続けていきたいと思っています。
取材協力
新井 華澄さん
大学の人文学部英語学科を卒業。薬店に勤務しながらフェローの通学講座で実務翻訳・出版翻訳を学習。その後、医薬専門の翻訳会社から製薬会社に出向し、副作用報告関連業務や文献翻訳などに関わる。2006年にフリーの翻訳者として完全独立。医薬全般の翻訳を中心に手がける。