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映画好きにとってこんなに楽しい仕事はない!
映画が華やかなエンタテインメントとして私たちに届くまでには、実は測り知れない苦労があるようです。
まずは映像翻訳家を目指したきっかけからうかがいました。
翻訳者を志したきっかけ
僕が大学を卒業した当時はバブル期で、就職したいと思えば難しくはなかった。でも、一人でできるプロの仕事に就きたい、という思いがあったんです。
ワインの醸造、物を書く仕事、染めもの職人……、いろいろ考えた末、昔から好きだった本や映画、音楽に関われる仕事はなんだろうと思い始めました。あるとき、音楽雑誌には外国人アーティストの翻訳された記事が載ってるし、CDにも対訳が付いてる、そうか翻訳もありだな!と思ったんです。
それで、卒業後すぐにフェロー・アカデミーに通い始めました。
どんな翻訳の経験も、無駄ではなかった
バイトをしながら翻訳の勉強を続けて、30歳手前でフリーランス宣言です。クラスの先生や知り合いなどに「何か仕事があったらよろしくお願いします」と片っ端から声を掛けました。
ロマンス小説の翻訳、CDの対訳、ライナーノーツの翻訳、会社案内の翻訳など、あの頃は翻訳ならどんな内容のものでも引き受けていました。
いろいろ経験していくうちに、短距離走のような映像翻訳の仕事が、どちらかというと自分の性格には合っているなと気づいたのですが、どんな翻訳の経験も、映像翻訳者として無駄にはなっていません。ストーリーを想像しながら訳していくのは書籍の翻訳もそうだったし、実務翻訳で経験した正確に訳すというスキルも活きていると実感しています。
映像翻訳者として仕事を始めたきっかけ
映像翻訳の最初の仕事は、テレビのエンタテインメント番組の下訳(翻訳をする前に、内容が理解できる程度に大まかに訳すこと)でした。
一人前に映像翻訳の仕事をしていると言えるようになったのは、フリーランス宣言をしてから5年後くらいだったと思います。テレビ番組の吹替翻訳の仕事が入るようになり、CSのドキュメンタリーも何本か訳しました。連載ものを初めて担当したのは、1997年の『ビーストウォーズ』というSFアニメ作品でした。この頃からドラマなどの吹替翻訳も少しずつ増えていきました。
当時は字幕の仕事というと劇場公開作品とVHSのみで、ベテランの翻訳者さんから優先的に仕事がまわっていたようです。あるとき吹替でお付き合いのある制作会社の人に「字幕もできますか?」と聞かれ、たいしてやったこともないのに「できます」と答えてしまい・・・・・・(笑)。
もちろん勉強はしていたし、とにかく1本やってみてダメならダメでしょうがない、尻込みしていたら永遠にチャンスは巡ってこないという思いで仕事を引き受けました。お陰様で、その後字幕の仕事も増えていきました。今では吹替・字幕の割合は半々くらいです。
こんなこともある!知られざる翻訳者の苦労
映像翻訳の仕事の流れは、配給会社や制作を担当しているプロダクション、あるいは監督によっても大きく違ってきます。依頼を受けると、基本的には映像とスクリプト(英語台本)がセットになった素材を受け取って翻訳を始めるわけですが、『インセプション』という作品の時は、最初に渡された素材はスクリプトと音声だけでした。そう、映像がなかったのです。クリストファー・ノーラン監督が10年も構想し続けた意欲作で、全貌は公開までシークレット。だから映像は出せないというわけです。何とか見せてもらえないかと担当者が交渉して、アメリカまで来てくれるなら1度だけ見せてもいい、ということで、私を含めてスタッフ3人で出かけました。
あらかじめスクリプトと音声で翻訳をひととおり仕上げておいて、現地で映像を観ながらその原稿にひたすらト書きを書き込みました。行った週にとんぼ返りで、翌週は吹替原稿の打ち合わせまでに書き直し、その翌週からアフレコの収録が始まり、一応完成。その後、公開日の直前に映像のファイナルバージョンが届き、若干の直しを加えて、その部分だけ声優さんの取り直しをしてフィニッシュ。合間に字幕原稿を作る、という殺人的なスケジュールでした。
ペンギンが主人公のアニメーション映画『ハッピーフィート』という作品を訳したときは、最初に渡された映像にはペンギンの大まかな輪郭しか映っていませんでした。背景もなし。
このときは、映像が進むにつれて何段階にもわたって素材がこまめに届きましたが、最初に不完全なものが届いたきりで、次に届くのはかなり時間が経ってから完成バージョンのみ、という場合もあります。とにかく、どんな素材が来るかは、始まってみないとわからない(笑)。大変ですが、それに合わせて翻訳するしかありません。
翻訳者になる、その近道は……?
フェロー・アカデミーでは3つの映像翻訳の講座を受け持っています。どの授業でも毎回、担当者2、3名が訳した原稿を全員で検討します。担当者は最終的にそこで出た意見を反映させた訳を完成させる、つまり仕事と同じ流れです。仕事ではまず翻訳者が訳し、それを制作会社の担当者や演出家のチェックを受け、それを踏まえて完成稿を作って納品する。授業でも同じことを体験して、仕事の準備をしてほしいということです。
翻訳者になる道に近道は、ありません。じっくり腰を据えて、楽しみながらやるしかない。そのためには、「映画が好き」ということが大きな助けになります。好きであれば修業時代が多少辛くても耐えられるし、仕事を始めてからは、何よりも映画制作の一部に関わっているという醍醐味、ものづくりの喜びを感じられますから。低予算のものから大作まで、数多くの映画制作に関わることができる。映画好きにとってこんなに楽しいことはありませんね。
取材協力
- アンゼたかしさん
- 映像翻訳家。映画『ジャスティス・リーグ』『マッドマックス』『インターステラー』『ダークナイト ライジング』『ワンダーウーマン』『シャーロック・ホームズ』シリーズ(吹替・字幕)、『ヴェノム』『ダンケルク』『ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男』『ホビット』シリーズ(字幕)、『ブレードランナー 2049』『ゼロ・グラビティ』『トータル・リコール』(吹替)など翻訳作品多数。フェロー・アカデミー修了生。