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『最高の花婿』
字幕翻訳を担当した横井和子さんにお話をうかがいました。
- 【作品紹介】
- ロワール地方に暮らすヴェルヌイユ夫妻の娘は4姉妹だが、長女から三女までの結婚相手はアラブ系、ユダヤ系、中国系。それぞれの宗教的慣習の違いに頭を抱えながらも受け入れようと夫妻が奮闘する中、末娘のロールにも結婚話が。婚約者のシャルルがカトリックだと聞かされて二人が安心したのも束の間、彼はコートジボアール人だった。しかもシャルルの父親は大のフランス人嫌いで結婚に猛反対。ヴェルヌイユ家は平穏を取り戻すことができるのか?
■監督:フィリップ・ドゥ・ショーヴロン
■出演:クリスチャン・クラヴィエ、シャンタル・ロビー ほか
登場人物たちが「家族愛」でまとまっていくのが見どころ
異文化を知るよいきっかけに
本作はもともとフランス映画祭2015で『ヴェルヌイユ家の結婚狂騒曲』として上映されました。そのときから私が字幕を担当させていただいたのですが、作品を観た方の反応がよかったようで、映画祭のあとに2016年、セテラ・インターナショナルさんの配給で全国公開が決まりました。それを機に字幕を再チェックして一部の表現を練り直しました。
フランスは実際にヨーロッパの中でも移民の多い国家で、異なる民族・人種・宗教間での結婚率も20%近くにのぼるそうですが、はた目には仲よくやれているようで、案外この映画で描かれるような軋轢がいろいろあるのでしょう。そこを共感しながら笑い飛ばせる内容なのが本国でヒットした理由かな、と思います。4姉妹の両親も花婿たちもそれぞれにプライドがあってときに反発しあいながらも、結局は「家族愛」で一つにまとまっていくのが見どころですね。とても分かりやすい展開でありながら、心にすっと入ってきて泣き笑いできる映画です。
4姉妹の結婚相手は長女から順にアラブ系、ユダヤ系、中国系、アフリカ系で、これはたぶんフランスにおける移民の人種構成比の高い順と同じだと思うのですが、これは新鮮な発見でした。また、アラブ人とユダヤ人の距離感について日本にいると感じる機会が少ないのではないかと思うのですが、あんな感じでケンカするんだ!と面白く思いましたね。末娘のロールが連れてきた黒人のシャルルを初めて見た両親が、彼を付き添いの運転手だと言うシーンでは、保守的な家庭の先入観に驚きました。
フランス映画のセリフに出てくる人名、地名、料理名などは、本国ではポピュラーでも日本だとなじみのないものがアメリカに比べて多いので、どう訳すか悩むところです。本作での例を挙げると、国民的コメディアンのルイ・ド・フュネス、ユダヤ系俳優のポペックといった名前が出てきましたが、そのまま訳しても伝わりにくいと判断し、前者は「チャップリン」、後者はユダヤ人と分かることを優先して「シャイロック」にしました。またロベール・バダンテールという著名な弁護士の名前も出てきて、これもそのままだとピンとこないと思い米ドラマの「ペリー・メイスン」に変えたところ、スクールでお世話になった寺尾次郎先生が試写をご覧になり「最近の若い世代は知らないんじゃないか」という助言をくださったことも……(笑)。最終的には固有名詞を出さず「国選弁護人」という訳にしました。
それから自分の結婚を家族がよく思っていないのを知ったロールがいじけたり挫折しかけたりするシーンがあって、そこでの彼女のセリフにはかなり親近感を覚えました。私も結婚する前、身内の理解を得るまでに紆余曲折があったので、その実体験を思い出してしまって……!
特に印象に残ったのは、花婿3人が義父のクロードにフランスへの愛国心を示そうと国家「ラ・マルセイエーズ」を歌い上げるシーンです。この歌詞はワケあってすべて訳すことにしたのですが、かなり過激な歌詞なので、ショーヴロン監督が来日時に「あの歌詞を全部訳したの?」と驚いていらっしゃったそうです(笑)。
本作の製作後にフランスではパリ同時多発テロが起こりました。現実の世界では宗教間の対立が根強い問題になっていますが、イスラム教・ユダヤ教・キリスト教はもともと同じ神を信じる姉妹宗教なんですよね。本作にはハラルやコーシャなど宗教ごとの異なる文化・慣習がたくさん出てくるので、異文化を知るよいきっかけになると思います。漠然としたイメージや先入観だけでほかの人種や文化を語るのではなく、みんなが互いをちゃんと知ったうえで意見を持つようになればよいなと思います。
何事も経験であり、すべてが次のご縁につながっていく
仕事中に自分を奮い立たせられる何かを持つことも大事
現在、私は英仏の2言語の映像翻訳に携わっていますが、フランス語を習得しようと思ったのは、実は英語から逃げるためだったんです。小学校から英語教育のレベルが高い環境にいたので苦手意識を持ってしまい、中学3年のときにフランス語の授業を体験したことでそっちに進んでみようかなと。そして高校でフランス語を選択したらおもしろいと思えるようになりました。大学も仏文科で、在学中にフランスの大学にも留学しました。帰国したのは大学4年の初夏。世間の就職活動の波に乗り遅れてしまい、何かフランスの食品に関われたらとスーパーで輸入食品のラベルを見て販売元の会社に片っ端から連絡したところ、ワインの専門商社に採用されました。ただ会社の業務ではたとえフランス人とのやりとりでも互いに英語を使っていたので、むしろ英語力が鍛えられましたね。
昔から「いつかは翻訳家に」という夢を持っていて、会社勤めのかたわら出版翻訳の講座に通っていましたが、まったく芽がでなかったんです。そこで、結婚を機に退職したとき、思い立って映像翻訳の分野に転向してみたところ、すごく面白くて、トライアルに挑戦する勇気が出たというわけです。フェロー・アカデミーの通信講座を受講したこともあり、マスターコースでは厳しい評価ながらも添削とコメントが丁寧で感激しました。その後、ある制作会社に翻訳者として登録でき、TVのエンタメ情報番組、特典映像などの仕事を在宅でするようになりました。
在宅の仕事と並行して、別の制作会社に3~4年ほど勤めていました。最初はCC(クローズドキャプション)の制作スタッフとして入りましたが、私を含む何人かが翻訳者志望だったので、そのうち幸いにも翻訳の担当部署ができることになったんです。在宅のほうも、キャリアアップのため新しい会社のトライアルにどんどん応募していきました。あるとき、プロフィールを登録しておいた翻訳者マッチングサイトを経由してフランス語作品の依頼をいただき、初めて新作DVDの本編に携われることになりました。その記念すべきタイトルが『拳王』という映画でしたが、たしかにフランス語作品だったものの、フランス人のムエタイ格闘家がタイを舞台に闘う話でした。タイのスタジアムなどの調べ物が大変で、ムエタイの協会に問合せをしたこともありました。
この時期、奇しくもパブリックドメインの旧作映画がDVDで再発売されることが増え、それに携わって本編を訳す実績を積んだことも、のちのキャリアアップにつながっていったと思います。また、初めて吹替翻訳のご依頼をいただいたときは、字幕のような「まずは特典映像から」というステップがなくいきなり本編で、ドキドキしながらもなんとか仕上げたところ、ディレクターの方が気に入ってくださり新しい取引先を紹介してくださいました。何事も経験であり、すべてが次のご縁につながっていくんだなと思いました。
フランスに関する、大きなニュースはオンラインでフィガロなどの主要紙にときどき目を通していますが、最新情報を知るのに意外と役立つのが現地在住の方のブログです。私も在仏日本人の方が書いているブログを日々チェックしています。内容・文章から信頼できそうなものを見つけておくといいですよ。また、特定の国の大まかなイメージを手っ取り早く把握したいなら『~を知るための~章』というシリーズ(明石書店刊)がおすすめです。それから、もしフランス語作品を英語スクリプトから訳すことになった場合、特に役職名と人名は、英語スクリプトに翻訳された時点でズレが生じることがあるので、できるかぎり原語でも確認をとると正確に訳せます。
ちなみに一般向けの映像翻訳をするうえでは、何かずば抜けて詳しい知識があるよりも、広く浅い知識のほうが役立つことが多いと感じています。私も前職でワインに詳しくなりソムリエと同等の資格も取りましたが、変に詳しすぎてしまうと言いますか、一般の方に用語や説明が通じるか否かの基準が分からなくなってしまって……。いっぽう詳しくない知識を要求される場面では自分で勉強することにこだわらず、詳しい人の知識や情報ソースの力を借りることも大事だと思います。
ずっと仕事をしていると、疲れてしまったり、無意識に練りが甘くなってしまったりすることがあると思うのですが、そんなときに「これじゃいけない」と自分を奮い立たせられる何かを持つことが大事だと感じています。私にとってそれは、親しくしていただいている同業の先輩やお友達の存在です。そのうちの一人は制作会社に勤めていた頃の同僚で、当時から翻訳がとても上手く、私も負けない字幕を作らなきゃと切磋琢磨できる関係でした。今でも古巣の友人に恥ずかしくない仕事をしようという気持ちは変わりません。
取材協力
横井和子さん
大学の仏文科を卒業。ワイン専門商社に勤務したのち翻訳の道へ。主な字幕翻訳作品に『最高の花婿』『ママはレスリング・クイーン』『禁じられた歌声』『パリ、ただよう花』『セヴァンの地球のなおし方』『ステーキ・レボリューション』など。フェロー・アカデミーの通信講座「はじめての映像翻訳」「映像翻訳<吹替と字幕>」マスターコース「映像」を修了。