FEATURES
『ミー・ビフォア・ユー きみと選んだ明日』
映画『世界一キライなあなたに』の原作でもある本書は、一般的なロマンス小説の枠にとどまらないテーマを扱った作品です。
作品の魅力や映画の感想について、ご本人にうかがいました。
- 【ストーリー】
- イギリスの小さな町に暮らすルーは、ある日、働いていたカフェが廃業したため無職になってしまう。自分の稼ぎで家族の家計を支えていたルーは、職業案内で介護ヘルパーの仕事を見つけ、四肢麻痺に苦しむ青年ウィルと出会う。はじめは反発し合っていた二人だが、ルーの明るさがウィルのかたくなな心を溶かし、二人は強い絆で結ばれていく。ところがそこで、ウィルが重大な決断を胸に秘めていることが明らかになり……。
人間の尊厳について問いかける作品 ロマンス小説の枠にとどまらないテーマにも目を向けてほしい
── まずは、作品について簡単な解説をお願いします。
イギリスの小さな町に住むルーというちょっとドジな女の子が失業し、事故で四肢麻痺になった元実業家、ウィルの期間限定のヘルパーになるところから物語が始まります。階級の違う二人は反発し合いながらやがて恋に落ちるのですが、ウィルは6か月後に尊厳死を遂げる決意を固めていました。その秘密を知って一念発起したルーはさまざまな「冒険」を計画して彼を翻意させようと奮闘する……というのがあらすじです。映画化され、『世界一キライなあなたに』という邦題で公開されました。
小説では、ウィルはルーをあるトラウマの呪縛から解き放ち、自分の可能性に目覚めさせます。一方、ルーはユーモアと明るさと真っ直ぐな愛で絶望の闇に沈むウィルの心を照らします。終盤は訳しながら涙が止まりませんでしたが、この小説が希望の物語だと思えるのは、二人が共に前を向いて人生の選択をしたからでしょう。担当編集者さんと悩みながら、副題を「きみと選んだ明日」としたのは、こんなふうにこの作品を読んだからです。
── 映画はご覧になりましたか?
はい、映画は試写会を含め3回観にいきました。ツイッターで呼びかけて、公開初日に原作の読者の方も含めて数人で観にいき、鑑賞したあとお食事しながら映画と原作について語り合いました。キャスティングは原作のイメージにとてもよく合っていたと思います。もちろんいろいろ省略されていますが、脚本を担当したのが原作者なので、世界観がよく再現されていました。それにエド・シーラン、イマジン・ドラゴンズなど音楽が素晴らしく、物語を盛り上げていました。
── 小説について、一読して、これまでに読んだロマンス小説と少し違うなという印象を受けました。
本作品で取り上げられている尊厳死は、ロマンス小説のスパイスではありません。誰もが楽しめるエンタメ小説の形をとりながら、人間の尊厳、中途障がい者の苦悩、イギリスならではの階級格差、健常者と障がい者の関係性について読者に率直に問いかけます。読者レビューでも「これは単なる恋愛小説ではない」という言葉を見かけました。物語を楽しみながらぜひそうした問いかけにも目を向けていただきたいと思います。例えば、自分の意見を聞かずにあるイベントを企画したルーを、ウィルが責める場面がありますが、ここではハンディキャップのある人を前にすると、人はともすれば相手が一人前の人間であることを忘れ、その意志をおろそかにしがちではないか、という問題提起がなされています。障がいの有無にかかわらず誰かのことを思うならば、その人の意志を尊重しなければならない。そうでなければ思いやりも愛情も独りよがりになります。作家はウィルという名に「意志(Will)」という言葉をかけたのかもしれません。
── 今お話にあった「ロマンス小説でありながら社会的問題提起がなされている」という部分について、装幀も含めて、あまりロマンスらしさを出さないように意識しているのかなとも思ったのですが、実際はどうだったのでしょうか。
もちろん大きく分ければロマンス小説に分類されると思いますが、編集者さんとお話ししてむしろジャンルにとらわれず、なるべく多くの読者の方、それも普段あまり本を読まない方々に響くように、と読みやすさを特に重視して訳しました。装幀は担当編集者さんが大ファンだという名久井直子さんにお願いしてくださいました。帯の下に可愛らしい“ある仕掛け”があるので、お持ちの方は見ていただきたいです。
── 会話のリズム、キャラクター同士の軽妙なやりとりも印象に残ったのですが、会話文の翻訳で気をつけたことがあれば教えてください。
この作品の前に訳したニック・ホーンビィ『ア・ロング・ウェイ・ダウン』が、全編4人の登場人物の会話と独白で成り立っていて大変な思いをしましたので、それに比べれば本作品の会話は楽に訳せた気がします。確かに若い女性の話し言葉は難しい面があります。例えば、いまどき実際の会話で「……だわ」「……わよ」と話すことはほとんどありませんが、映像ならばまだしも、文章でそうした語尾をまったく使わずにストレスなく女性であることを読者に感じさせることは至難の業です。この作品ではルーと妹のトリーナの会話はニュートラルな語尾を使い、ウィルとの会話では女の子を意識して、女性言葉とされる語尾を少なめにちりばめるようにしました。
── 最所さんは会話部分の翻訳はお得意ですか? 小説の翻訳を学習中の方の中には、せりふの訳が難しいという方もいらっしゃいますが……。
小説の会話はキャラクター造形ができる数少ない部分なので、私は好きです。ときには、現実の会話から話し言葉を収集することもあります。今回の『ミー・ビフォア・ユー』ではやりませんでしたが、『ア・ロング・ウェイ・ダウン』のときは若者言葉を盗み聞きしに渋谷のマクドナルドに行ったり、男性のせりふに迷ってFBで友人たちにアンケートを取ったりしました。せりふが説明調で長くなるときは、実際に口に出して、自然かどうか確認しながら訳します。私たちの普段の話し言葉は必ずしも文法的に正しくないですよね? 文章として組み立てずに、思いついた言葉からどんどん話していくことも多いと思うのですが、それをある程度、再現する工夫もしています。
── また、文化的に日本人にわかりづらい用語の訳は悩みどころだったと思うのですが、どんなふうに対応なさったのでしょうか。
説明調にならない範囲で地の文に入れ込むのが理想ですが、難しいですね。特に基準は決めていないのですが、例えば英文をカタカナでそのまま残した場合はルビで意味をつけることがあります。名称等に辞書的な説明をつける場合は割注にします。
── 最所さんは、これまで何冊も小説の翻訳をなさっていますが、今回の作品を依頼された経緯を教えていただけますか?
実はこれまで訳してきた作品は、1作目の『ターミナルマン』を除き、すべて企画の持ち込みで、この作品も同様に持ち込みで採用していただいたものです。『ミー・ビフォア・ユー』は、映画制作が決定する前に企画が通ったので、映画化は幸運でした。すでに海外では大ベストセラーでしたので、可能性はあると思っていましたが……。作品探しについてよく訊かれるのですが、ネットを駆使し、多方面の情報源から探している、というだけでご容赦いただけるでしょうか。すみません。これまで映画原作を手掛けてきたのは、単純に、持ち込みで企画を通していただく際のアピールポイントになるからです。ただハリウッドの大きい映画になるような作品は、出版社で情報をキャッチしていることが多いので、私の場合は落穂ひろいのようなものです(笑)。映画原作ならなんでもいいわけではなく、何冊も読んだ中からこれはと思う作品を厳選して持ち込んでいます。非常にうまくいった例は『クレアモントホテル』です。たいていは映画化の情報をレジュメに盛り込むのですが、この作品は映画が公開済みでしたので、DVDを取り寄せて鑑賞し、原作とセットで集英社に持ち込みました。担当編集者だった鈴木馨さんのご尽力で岩波ホールでの上映が実現し、東京新聞の映画賞も受賞し、全体に成功した事例です。ただそういう作品はなかなか見つかりませんので、こつこつと探していくしかないですね……。作品の選択については自分で読んで心が動いたか、親しい人に読ませたいか、ということが最大のポイントです。商業的にアピールできる要素ももちろん重視します。映像化は大きな魅力ですが、それ以外でも、批判的なレビューを含め広く評価を確認し、作家の過去作品、売れ行き、受賞状況など可能な限り情報を集めて判断します。でも、そうした基準から外れても、「世に出したい」と思わせるパワフルな作品はあり、そういうものもチャンスをとらえて出版社に紹介しています。
── 最所さんはどのようにして出版翻訳の道に入ったのでしょうか。
翻訳を意識しはじめたのは、博士課程の入試に失敗して就職することになり、自分が仕事に使えそうな技術は英語しかないことに気づいたあたりです。自宅で英語を教えていた母や、戦前にアメリカに留学し、英語学者だった大伯母の影響もあったかもしれません。とはいえ専攻はイラン近代史で、文学でも英語でもありませんでしたから、しばらく働いた後にイギリスのリーズ大学に留学し、遠藤周作の作品を多く手掛けているマーク・ウィリアムズ教授のもとで学びました。翻訳学の修士課程を卒業後、実務翻訳の仕事をさせていただくうちに、ある通信講座のオーディションで『ターミナルマン』を訳させていただいたのが、出版翻訳に関わるスタートになりました。子供の頃から物語が好きで、歩きながら本を読んでいて電信柱にぶつかったこともあります。でも、まさか自分が小説を翻訳できるとは思ってもいませんでした。
ただし、1作目の後はオファーもなく、持ち込みも決まらず、とても苦労しました。その苦労は今も続いているのですが(笑)。7~8年前、たまたま集英社さんに作品を持ち込んだのがきっかけで、先にも触れた当時の鈴木馨編集長に大変お世話になり、以降、数冊、集英社さんでお仕事をさせていただいています。
── 最後に、学習中の方にメッセージをお願いいたします。
出版翻訳は夢のある仕事ですが、現実は厳しいと実感しています。私の場合、どなたかにきちんと師事したことがないというのも難しさの要因になっているかもしれません。今から目指される方は、できればフェローなどの講座で先生についてしっかりと学ぶことが、翻訳の技術だけでなく、その後のネットワークを築く上でも大切なのでは、と思います。実際、私のように受講期間の短い修了生でもサポートしてくださるので、フェローさんには感謝しています。
フェローの田口俊樹先生のクラスを受けようと思い立ったときは、すでに数冊訳書を出していました。それでも受講することにしたのは、一人で黙々と作品を持ち込んでは断られるのが辛くなってきたからです(笑)。本当はもっと早い段階で受講したかったのですが、その頃は経済的に難しくて二の足を踏んでいました。やっと入学し、これで先生ができ、仲間が作れる、と喜んだのですが、受講期間中に田口先生のお力添えで『マリーゴールドホテルで会いましょう』の企画が早川書房さんで通り、映画公開まで時間がなかったために講座の後半はお休みすることになってしまいました。先生のご厚意に心から感謝しつつも、講座に最後まで出られなかったことを申し訳なく、残念に思っています。短い受講期間でしたが、田口先生の「翻訳は生木のようにくすぶるもの」という言葉は胸に刻んでいます。どれだけ文章を弄っても、翻訳に正解はなく、これで完璧ということはないのだ、と自分に言いきかせながら、今後も奢らずに原文と向き合いたいと思います。
取材協力
最所篤子さん
翻訳家。医療機器専門商社で翻訳業務に就きつつ、出版翻訳に携わる。『ミー・ビフォア・ユー きみと選んだ明日』、『古書奇譚』、『ア・ロング・ウェイ・ダウン』、『クレアモントホテル』(集英社文庫)、『マリーゴールドホテルで会いましょう』(早川書房)、『エンジェル』(ランダムハウス講談社)など。フェロー・アカデミー修了生