FEATURES
『セプテンバー・ラプソディ』
80年代から続く「ヴィク」シリーズ。シリーズ長寿の秘訣や、著者との交流について語っていただきました。
- 【ストーリー】
- 友人の医師ロティから、知り合いの女性の捜索を依頼された私立探偵のヴィク。目撃現場へ向かうも、すでにそこはもぬけの殻で、男の死体があるだけだった。女性の母親を訪ねると、孫、つまり女性の息子も数日前に姿を消したという。2人の行方を追ううちに、ヴィクは第二次大戦前から続く原子力をめぐる因縁に行き当たり……。
女性探偵V・I・ウォーショースキー、通称V・Iの活躍を描く「ヴィク」シリーズ。
主人公の強さや優しさ、
まっすぐな性格が読者を惹きつけている
―― 作品の読みどころはどのあたりになるでしょうか。
パレツキーの作品は著者の熱い正義感から生まれていて、シカゴの女性私立探偵、V・I・ウォーショースキーの活躍を描くこのシリーズも、巨悪を斬るというストーリー展開のものが多いのですが、これはなかでもとくに骨太の作品だと言えるでしょう。話は友人に頼まれた人捜しから始まるのですが、そこからどんどんスケールが広がって、ついには第二次大戦中の核開発から戦後のコンピュータ開発にからむ秘話へ、そして、現代につながる陰謀へと大きく発展していきます。
また、今回はV・Iが掃除ばかりしているのもおもしろいところです。シリーズを通して読んできた方は、きっと「あれっ?」と思われることでしょう(笑)。じつは、彼女、掃除が大嫌いで、自分の部屋は散らかしっぱなしなんですよ。その点では、シリーズのなかでもユニークです。
―― 海外ミステリーは、シリーズの途中で邦訳が止まってしまうものもありますが、このシリーズが日本でも長く愛されてきた要因はどこにあるとお感じでしょうか?
まず、このシリーズはスタートしたころ4F作品(Fはfemale の頭文字。主人公、著者、読者、訳者がすべて女性)として話題になり、男に頼らず、媚びず、女であることに甘えず、自分の力で生きていこうとするV・Iの姿に多くの女性が共感を覚え、いっきに人気シリーズになりました。その後、時代は変わり、女性たちの意識もその時代に応じて変化してきましたが、V・Iの強さ、根底にある優しさ、曲がったことは大嫌いというまっすぐな性格が、いまも人々を惹きつけているのだと思います。
それと、ロティ、コントレーラス老人、新聞記者のマリなど、おなじみの脇役が登場して、ひとつのファミリーのような温かい雰囲気を作りあげているのも、シリーズの魅力ではないでしょうか。もっとも、わたしがいちばん好きな脇役は、人間ではなくて、ゴールデン・レトリヴァーのペピーとミッチですけどね。
―― シリーズが続くなかで、登場人物の性格や作者の語り口などにも変化は生じてきたのでしょうか?
シリーズの経過とともに、主人公も年をとっていき、最初は30代だったV・Iがもう50代です。最初はやたらと威勢のよかった彼女が、シリーズの途中から「もう年だわ。無理はできない」とつぶやいて、弱気な面を見せるようになり、それとともに事件もいささか小粒になってきて、最初のころの輝きが薄れてきたように思っていましたが、シリーズが2年近く中断したあとで出た『ミッドナイト・ララバイ』あたりから、昔の溌剌としたV・Iが戻ってきました。50代の女には無理だろ、と思うほどの過酷な肉体作業にも挑んでいて、今回など、訳していて心配になったほどです。著者のなかに何か心境の変化でもあったのでしょうかね。
―― 作品を読んで、まず文章のリズムやスピード感が印象に残りました。特に文末のリズムに切れ味があって爽快だったのですが、訳文を作る際に気をつけていることがあれば教えてください。
リズムやスピード感というのは、原文のものがそのまま出ているのでしょうね。パレツキーはとにかく力強い文章を書く人なので、こちらも負けまいとして必死です。体調が悪いとうまく訳せません。過酷な作業です(笑)。語尾に「た」が続くのは、「た」ばかりになることにぜんぜん抵抗がないから。フェロー・アカデミーで担当しているマスターコースの受講生の原稿を見ていると、単調さを避けるために現在形をはさむ人が多いのですが、逆にそこだけ不自然に浮いてしまう危険があるので、個人的にはあまり好きな方法ではありません。
―― この作品には数学やプログラミングに関する細かな記述がありますが、訳者あとがきによれば、これは別の訳者の方にお手伝いをお願いしたそうですね。
友人の甥が優秀な理科系人間で、しかも副業で技術翻訳をしているというので、すべて丸投げしました。きちんと訳してもらえて、おまけにもとの文章まで推測によって復元されたのを見たときには、もう感動でした。パレツキーの作品は専門的な事柄が多く出てくるので、「餅は餅屋」だと思い、そのたびに助っ人を見つけては頼んでいます。保険業界の人、海運業界の人など、周囲にずいぶん助けられてきました。次作にはアイスホッケーの話が出てくるのですが、友人の夫にアイスホッケーをやっていた人がいるので、もしかしたら助けてもらうかもしれません。
―― また、ミステリーの定番アイテム、本作で言えばロールトップデスクやスポーツジャケットといった言葉の翻訳は、翻訳学習者にとってはどこまで説明すべきか悩むところだと思います。訳す際の指針があれば教えてください。
むずかしい問題ですね。言葉は時代とともに変わっていき、とくに日本語の外来語の変化は大きいですから。いま挙げられたようなカタカナ言葉に関しては、カタカナ用語事典のたぐいを参考にして、そこに出ていれば市民権を得たものと解釈して、そのまま表記することにしています。あるいは、まだ耳慣れない言葉であっても周囲の状況から楽に推測できる場合は、説明なしで使うこともあります。
―― 著者とも交流があるそうですが、原文に関して疑問があった場合は、著者に尋ねてみるのでしょうか?
かならず尋ねます。書いた当人でないとわからないことがけっこうありますから。質問をメールで送ると、懇切丁寧なお返事がきます。それから「自信が持てずに書いたところについては、かならずやよいが質問を送ってくる。わあ、恥ずかしい」と言われることが多くて、こっちのほうが恥ずかしくなります。単に英語力不足で理解できていないだけなのに。
―― 著者とお会いになったこともあるそうですが、やはり作品からイメージするような、キリッとした女性なのでしょうか。
お会いする前はわたしもそう思っていたのですが、ひとことで言うなら、ふんわりした雰囲気の女性です。シカゴのホテルのロビーで初めて待ちあわせたときは、ピンクのサマーセーターに白いスカートで、えっ?とびっくりしてしまいました。そうかと思うと、黒の超ミニにラメのストッキングなんてこともありました。フェミニストとして一本筋が通っていて、女性作家の地位向上のために尽くしてきた人ですが、日常生活においては、とにかく優雅で優しい人です。パレツキーにかぎらず、英米の作家さんたちって親切で楽しい人が多いように思います。
―― ありがとうございました。最後に、学習中の方へメッセージをお願いします。
翻訳というのは基本的に辛い作業です。他人が書いた英語の作品を、その人になりきって、日本語の作品に変えていかなくてはならないのですから。
プロの翻訳者はすいすい訳してるんだろうな、などと思わないでくださいね。プロになっても、やはり大変な思いをしながら、苦しみながら訳しているんです。だから、翻訳の勉強が辛くてもめげないでください。辛いのが当たり前だと思ってください。
でも、訳書が完成すると、翻訳作業が辛ければ辛かった分だけ、大きな喜びを味わうことができます。訳書を読んだ人から「おもしろかった」と言ってもらえるのが、翻訳者にとっては無上の喜びです。いつかきっとその喜びを自分のものにできるよう、がんばってくださいね。
取材協力
山本やよいさん
同志社大学文学部英文科卒。英米文学翻訳家。主な訳書に、「V・I・ウォーショースキー(ヴィク)・シリーズ」、『キリング1~4』『オリエント急行の殺人』『処刑人の秘めごと』(以上ハヤカワ文庫)、『とらわれて夏』(イーストプレス)、『秘密の真珠に』(ヴィレッジブックス)、『フランス人がときめいた日本の美術館』(集英社インターナショナル)など多数。